![]() |
||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||
|
生駒の山を仰ぎ見て、淀の川面に姿を写し、歯学の道を探求するは我等が健児、いざや歌わんかな、大阪歯科大学校歌、アイン、ツバイ、ドライ!! この前口上の後、校歌の一番だけを歌ってお開きにするのが大阪歯科大学同窓会香川県支部総会の習わしてある。 1961年9月、第2室戸台風が大阪を直撃した。瞬間最高風速60メートルの超大型だ。 朝、大学の授業が始まるころは、電車も普通に走っていたし、空は雲っていたが、風もなかった。 教室には10人ぐらいのクラスメイトが登校していたが、授業は台風接近のため休講とのことで、時間ができた。 大学から一番近い下宿に住んでいる友人の部屋で、麻雀でもするか、と話はすぐにまもとまり、香川、広島、大阪、京都、石川、これら台風の被害経験にあったことはない府、県人が6名集まった。 正午頃だっただろうか、風が強くなり、木造二階建ての古い玄人下宿のその家が、かなり揺れはじめた。 その時瓦が風で屋根の下方から上方に向かって吹き上がっていうのを初めて見た。 ひょっとすると、この家は倒れてしまうかもしれないと思ったが、痩せ我慢をはって全員が部屋に留まった。 細長いその玄人下宿の二階建てが倒れるまでにそれから10分も経っていなかったと思う。 11人の大歯大の学生が建物の下敷きになった。幸い両サイドの部屋にいた2人だけが下敷きになることを免れた。 倒れた建物の外に放り出された2人が埋まっている同窓生を一人、又一人と、順次助け出していったのだ。最初に助け出されたのが私である。 一番声が大きくて居場所がすぐに分かったとのことである。 建物の下から5.6人を掘り出したところで先輩から、「お前ら、大学まで走っていってこの事故を知らせてこい。」と言われ、すぐに向かった。 道路には人っ子一人いない。 切れた電線があちこち垂れ下がりそれが風にあおられまるで生き物のように動いていた。 風の状態を見ながら電柱から電柱に向かって走り、それにしがみつく。 という動作を繰り返しながら、やっとの思いで大学にたどり着き、事故の報告をしたその後、私は3時間程気を失っていたそうだ。 同窓会で校歌を歌う時の一番いいことは、それぞれがそれぞれの学生時代に一瞬にしてワ−プ出来ることだと思う。みんなの笑顔をみながら |
|||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||
| copyright(c) 2008 Osaka dentistry university alumni association Kagawa branch office all right reserved. | ||||||||||||||||||||||||||